プリズムゲート株式会社 代表取締役
Web販促デザイナー
芝田 弘美

生年月日:昭和44年5月31日(横浜市生まれ、川崎市在住)
学歴:横浜共立学園高校、中央大学商学部卒

職歴

平成4年 ミニストップ株式会社 入社
平成7年 ミニストップ株式会社 退職
平成8年 Webデザイナーとして働き始める
平成12年 起業

資格

中型自動2輪、普通車免許/松濤会空手道3段(大学での空手部にて)/坂東流日本舞踊師範

ちょっと自慢できること
  • 日本舞踊を3歳から続けていて、酒を飲んでない夜は必ず稽古すること。(踊りも活動中「和もの場」)
  • 踊りの師匠の稽古場のホームページを作って、若い弟子でいっぱい!にしたこと。
  • 今でも上段蹴りが出せること。(むやみに蹴りませんのでご安心を)

どのような経緯でWebデザイナーになったのか

デザイナーといえば、美大やデザイン学校を卒業してなるものと思われがちですが、私の場合は、大学は商学部でして、デザイン学校には行ったことがありません。

では、こんな私がどのような経緯で、Webデザイナーになったのでしょうか?(本人も不思議ななりゆきですが)

絵だけは小さい頃から描いてました。
私が3歳の時に「お母さんの絵コンクール」に応募しようと、母が私に絵を描かせたそうです。
しかし、恐ろしく?上手に描けてしまい、母が手放せなくなり、コンクールには送れなかったそうです。
絵を描くのは、うまかったらしいです。まあ親の欲目です(笑)

実はいつも自分より上手に絵を描く人が周りにいたので、自分自身は絵に自信があったわけではありません。
学生の頃は、コンクールに出しても最優秀賞ではなく、優秀賞。あるいは入選程度のものでした。

小学校のときは、宿題はろくにしませんでしたが、なぜか勉強はそこそこできました。
ですが、近所では何より『あそびの天才』と言われてました。
いつも新しい遊びを考えて、いろいろなものを作ったりと、絵ばっかり描いているわけでなく屋外で遊んでしたので、いつも裏表ないほど真っ黒でした。

そして、中学高校のときは漫画研究部で、マンガに夢中になりました。
部活のあるときは必ず学校に行っていました。
実は、女ばかりの進学校の校風に馴染めず、パニック症が出て、部活の日以外はあまり通学していません。

しかし、母は「学校に行かないなら働け!」という人だったので、
実家のパン屋で働いたり(小遣いは時給制でした)
配布するチラシを書いたり(締め切りもあり、けっこう母の注文に応えるのは大変でした)
POP講習会に参加していたり(親の代わりに行ってました)
店舗の季節の飾り付けを問屋まで買いに行って、1人で夜中に飾り付けをしたり、、、、グレるヒマがありませんでした(笑)

※写真は、小学生から高校まで書いていたチラシの一部です。300枚は書きました。

そして、大学を決めるとき、学校では美大に行くと思われていましたが、「絵では食えない」という母の助言を聞き、かなり現実的な性格だったので、つぶしのきく商学部に行くことにしました。

受験勉強は全くしてなかったので、予想どおり大学は落ちまくりでしたが、なんとか1校だけ受け入れてくれて、感謝しています。

浪人したら1つ違いの妹と同じ学年になってしまうので、専門学校に行って、ツアコンになろうと思っておりましたので(汗)

しかし、大学の商学部に入ったつもりが、体育会の空手部に入部してしまったので、空手漬けの日々を過ごし、学校の授業はほとんど出ませんでした。(マーケティングは好きで自主勉強)

ただ、毎日キツい稽古に耐えていたので、パニック症は改善しました。

人間、体を鍛えると、精神面も強くなるようですね(笑)

そして卒業後、就職したのはコンビニエンスチェーンの会社。
配属は、経理部。

小学生から高校まで書いていたチラシの一部

希望は、商品開発や営業で、自分でもぜったいの得意分野だと思っていたのですが。
でも仕方なく…簿記が苦手でしたが、日商簿記3級をやっと取得しました。

実は、経理部配属になってから、初めてパソコンを使うことになりました。

会社員としては、全く可愛くない部下だったと思いますが、表計算ソフトのマクロを組むのが得意になり、しばらくすると、時間が余り過ぎて仕事がつまらなくなり、自分でいろいろ本を買ったり、中小企業診断士を取ろうと勉強を始めました。

でも、かといって他の部署へ異動もなく、将来、固定資産部門の経理課長になってと部長に言われ、、、

『経理しか知らなかったら、いいとこ経理部長止まりじゃん!』と考えてしまいました。

バブル世代なもので、能天気にも、目標は社長になることでした(笑)

というわけで、3年まで我慢して、大学で勉強あまりしてなかったのでちゃんと勉強しよう!そのあと、自分で商売をしよう!
と、会社は辞めてしまいました。

そこで、家の店でバイトをしながら、中小企業診断士の勉強を集中して、毎日8時間くらいやっていたのですが、、、

ふと新聞か何かで目に入った「ホームページ作成1ヶ月講座」へ申し込んでしまいました。

当時は、1995年。
インターネット自体も一般では、まったく普及していませんでしたが、なぜか、4回で10万円もする講座に、即効で申し込んでしまったのです。

その講座の受講者数も、忘れもしない、たった4人。

その講座の実習として、自分でイラストを描いたり、文章を書いたり、HTMLを組んでホームページに仕立てて行く…
これがなかなか楽しく、ハマってしまいました。

会社研修の一環で来ていた他の受講者がフェードアウトして、たった1人になってしまっても、広い教室で講師と2人で着々と完成させました。

そして講座が終わったとき、講師の先生から「うちの会社に来ない?」と誘いを受けて、あっさり、Webデザイナーになってしまったのでした。

当時は「Webデザイナー」という職種はほとんど知られていなく、
出来る人もごく少数だったので、Webデザイナーになるのも簡単だったのです。

ただ、Webの仕事はどんどん新しい技術が出るので、勉強し続けなければなりません。
当時は技術書も出版されていなく、ネットにも日本語訳が出ていないので、英語で仕様書を読んだり。。。

でも、Webを作ることが楽しくて、夢中になりました。

そして、もちろん、中小企業診断士の資格は取れずじまいでした(笑)

というわけで、私はこんな不思議な経緯でWebデザイナーになったのでした。

「デザイン品質が低い」と言われ、お客様の一言で救われる!

実は、起業したばかりの20年ほど前に、あるお客様からこう言われて、キャンセルになったことがあります。

「デザイン品質が低い!」

もちろん、すどーんと落ち込みました。
当時は、次第に印刷業界からグラフィックデザイナーが参入していたので、デザイン学校を行っていない私では、この大好きなホームページをつくる仕事はもう無理ではないか?とも思いつめました。

しかし、ホームページを作ったあるお客様の一言で、救われたのです。

「芝田さんに作ってもらったホームページで、お問い合わせが多くなったよ!」

そのとき、目の前の世界が、ぱっと明るくなったような気がしました。

私には、デザインを学校で勉強していないという弱みがあります。
ですが、
ゼロからWebデザイン・構築をしていたので、Webの特性をよく知っています。
速く表示させるには、どんなコードを組めばよいのか?から、ドメイン、サーバーのことまで考慮して、公開してから検索サイト順位がどうなるのか、閲覧者の行動も考えた上でホームページをつくっています。

さらに、店舗で長年働いて、お客様に直接売っていた経験もあります。

見た目だけのデザインでなく、
私は、営業に役立つデザインをしよう!と決意しました。

そして、それから

★ホームページを事業の役に立てよう
★お客様の事業を伸ばせることは、なんでもしよう! 

という姿勢で仕事をしています。

今にして思えば、どの経験も「ホームページをつくり、お客様の事業発展のために何でもする」のに役立つことです。

  • 絵が描けること→デザインを作るのに役立ちます。図解で分かりやすく説明できます。
  • マンガを描く経験→読みやすさ、視線の流れを考えて、レイアウトできます。
  • 自分でつくる遊び→人の考えつかない企画を思いつきます。
  • チラシ作成→売りを見定めて、お客様をキャッチするページを考えられます。
  • 経営の勉強→経営状態を見定めて、事業戦略を立てられます。
  • 空手部→体力と根性で締め切りを守り、大きなサイトでも作り抜きます。
  • 会社の経理部→簿記ができるようになり、会社財務もわかります。

おかげさまで今では、Webサイト制作だけでなく、商品企画デザインや研修講師、コンサルティングの仕事も増えてきています。

私が20年以上もWebの仕事を続け、1000近くのホームページ制作に関われたのは、デザイン技術だけではなかったからだと思います。

※ですので、当社スタッフにはWeb技術だけでなく、経営やマーケティング、接客などの教育を頻繁に行い、あらゆる場面で「お客様の事業発展」に役立つ提案ができるよう努めております。(IT業界で接客研修などやっているところはまずないかと)

尊敬する経営者

時々「尊敬する経営者は?」という質問を見かけますが、私の場合は2人います。
実は、そのうちの1人はあまり公表してません。

ここで公表しますと1人めは、「私の母」です。

私の母は会社の社長ではなく、単にヤマザキパン屋のオバちゃんです。
実は父が若い頃、あまりに飲み歩いていたため、

「これはどこかでポックリ死なれてしまうかもしれない。そうなったら自分で子供2人育てなければ!」
と一念発起、ヤマザキパンの販売店を始めました。

パン屋のオバちゃんになってからの母は「商売のためならなんでも使う」という勢いの良い性格で、子供の私も毎日店を手伝うという義務を課せられました。

というわけで、私の仕事デビューは8歳。
釣り銭の計算はもちろんのこと、商品原価や経費のこと、
そして『今日はこのパンを○個売る』などというノルマも経験しつつ、パン屋の娘で育つはめになりました。

その後、母が働き過ぎで体調を一時期悪くしてからは、サラリーマンだった父も店に入り、この父は、子供より微妙な仕事ぶりにもかかわらず(私は『男は仕事できない』と思って育ってました(笑))
かれこれ30数年、年中無休で元気にパン屋のオバちゃんをやっておりました。

※私が店を継がなかったので、パン屋は数年前に閉店しましたが、両親は今でも元気に家事をしてくれて助かってます。特に、母の家庭菜園と韓国ドラマへの情熱はすごいです。。。

形はどうあれ、店を続けて一家を支えただけで尊敬の対象です。

というわけで、起業独立&自営業には免疫があり、登記をすれば会社になるのね会社の方がなんだかカッコいいし信頼されるかも…などと友達と会社をうっかり作ってしまいました。

しかし、それから従業員も雇って…と、人が複数になると、伝えた通りに仕事ができなかったり、パートナーや従業員トラブルが多発して、精神的に疲労困憊してしました。

これなら、会社にせず一人で仕事すればよかった。。。大きな壁に阻まれて一歩も動けないような感じでした。
しかし、会社をやめることは、お客様に迷惑をかけてしまうので絶対にしたくない。

そんな行き詰まりの中で出会ったのが「稲盛和夫」さんです。
京セラの創業者で、ビジネス界ではもはや伝説の経営者ですね。

でも私は著書は全く読んでいなかったので、誘いをうけた「盛和塾」で初めて知りました。
それで初めて著書を読みました。

『謙虚にして驕らず』『心を伸ばし経営を伸ばす』考え方次第で会社が変わるという事柄を知り、今まで会社の理念、社会的役割を全く考えていなかったし、会社にいる人の考えや気持ちがバラバラ状態なら、そりゃうまくいかないやね…ショックを受けてガックリしました。

でもまあ、それなら実行すれば良くなるでしょ!と気を取り直して日々実践していくと、今では楽しく仕事をする、プリズムゲート株式会社に変わりました。
おかげさまで業績もまあまあです。

でもこれからもっと努力して「横浜で一番の会社」「心あるIT会社No.1」になります!

というわけで、経営戦略や小手先の方法を語らず、本質のみで勝負する稲盛和夫さんも、尊敬する経営者です。

現在の仕事

現在、私の仕事は、プリズムゲートの代表としての仕事になります。
数字とにらめっこして事業戦略を立てたり、研修の内容を考えて従業員の教育をしたり、、、

※そういえば、「会社の社長になる!」という私の夢はもうかなっちゃいましたね(笑)

とはいえ、何ぶん小さい会社ですので、経営者としての仕事だけでなく、Webの企画やデザインもしますし、その他デザインや動画の仕事もしてます。

「どんなホームページを作ったらいいの?」
「どんな文章を書いたらいいの?」
「どんなブランドを作ったらいいの?」 などなど、

お客様の様々な問いかけに対して、答えを探し、具体的な手段を提示して実行するのが、私たちの役目だ認識してますので、私自身はWebデザイナーの他に、クリエイティブディレクターという職種を書いたりしてますが、、、

「こんな注文があったんだけど、この大量なお菓子をどうやって作ればいいの?」
「こんな事業をやってみたいんだけど、どう思う?」 などなど、
という相談相手にもなったりしますので、「よろず悩みごと相談所」かもしれません(笑)

Web制作を始めて24年。
2000年から起業して20年になり、おかげさまで各業界に信頼できる人たちが、周りにいる状態になりました。
いわゆる『幅広い人脈』なのでしょうか。

何かお客様にあれば、それに合う人を紹介したりもしております。(とはいえ、それが本業ではないので、紹介料はいただきませんが)

こんな私たちと仕事をしたいと思いましたら、いつでもご連絡お待ちしております!

長々と語ってしまいましたが、以上、芝田のプロフィールでした。
今後もよろしくお願いいたします。

| 会社案内へもどる |